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亀戸天神社

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神社

元徳稲荷神社

元徳稲荷神社 由緒

  • 社 号 元徳稲荷神社
  • 御祭神 宇賀御魂神
  • 鎮座地 墨田区立川3-18-2

三河国の郷士であった河村徳右衛門が河村家の氏神様として、伏見稲荷社より神璽を遷して邸内でお祀りしたのが始まりとされています。江戸開府に伴い、河村氏も江戸に出府、神田川沿岸に土地が与えられ、町名を徳右衛門町と称しました。その際、稲荷神社も邸内に移されました。明暦3年の大火(振り袖火事)の後、町の再開発計画が進められ、元禄元年に徳右衛門町は墨田区竪川沿いの地に移封され、本所徳右衛門町が成立しました。稲荷神社も邸内から現在の地(三ノ橋付近)に移り、もと(元)神田徳右衛門邸内に鎮座していたことから、元徳稲荷神社と称するようになったといわれています。二代目徳右衛門の妻が難性の腫物を患い、当社に祈願して平癒癒したことに倣い、町の人々も参拝し、平癒すると土地の産物である里芋を供えていました。飛火という腫物の病が流行した折にも里芋を供えて祈願したと伝えられ、神社に里芋をお供えする習慣ができたと言われています。明治中期に活躍した九代目市川団十郎も腫物に苦しめられた時、当社に参拝したと伝えられています。中央区日本橋浜町には御分霊をお祀りする元徳稲荷神社綱敷天満神社があります。

榎稲荷神社

榎稲荷神社

  • 社 号 榎稲荷神社
  • 御祭神 宇賀御魂神
  • 鎮座地 墨田区立川4-12-24

天和3年(1682)菊川という川の堤に建立し、土手稲荷といわれておりました。宝暦年間頃に中風が流行し、当社に平癒を祈願して境内にあった榎の皮を持ち帰ったところ、その効力が著しく、祈願を遂げた人々は講中をつくり社殿を造営しました。その頃から、榎稲荷神社と称するようになりました。その後、大久保紀伊守の邸内社となり、町内一同により石鳥居、漱水盤が奉納されました。万延年間頃には、隣接の氷川大乗院配下本山修験吉祥院が大切に守護していたとされています。
関東大震災での焼失後、区画整理により現在地に移転され、境内には石黒善次氏寄贈の地蔵尊が祀られております。

地蔵尊の由来

大東亜戦争中昭和20年3月10日未明、敵空軍爆撃機の焼夷弾による大空襲をうけ下町一帯は崩壊状態となり尊い人命を数多く亡し其の数実に10万人と言います。攻撃に参加した敵爆撃機298機、投下焼夷弾1783トン、被災者数100万人、焼失家屋27万戸、負傷者数14万人、、当菊川公園に埋めた人4515人に達し当町の住民の中からも多数の焼死者を出し、無人の町に等しくなるも終戦により町に復帰する人も日毎に多くなり、其の生存者の間から犠牲者の冥福と恒久平和を念じて地蔵尊建立の運動が起き、当時この町の住民で菊川小学校で奇跡的に難を免れ、船橋市に疎開中の石黒善次氏に話が伝わり、同氏の浄財により昭和21年5月地蔵尊を菊川公園に建立し町に寄贈され昭和40年菊川公園改修のため現在地に移転、今日に至り以来毎年3月10日の戦災記念日には盛大に犠牲者の霊を弔うと共に人が人を愛し世界の国々が平和で人類が何時迄も仲良く幸であることを祈るものである。(立川四丁目町会)